急進vivid

主に自分の苦しみを書き綴るものになります。

要らない情報はいらない

SNS疲れと情報過多の関連性について。

 

最近LINEをほぼ見ない方向に転換した。

新しいアカウントを作成して、家族と近しい友人のみに教えて、旧アカウントはPCでのみ確認するようにしたため、1日1回しか確認しなくなったのである。
現代人として、「LINE」で送られてきた情報に即座に反応できないということは、実は厳しいことであると思う。
この方向転換は、言ってしまえば半ば衝動的だったわけだが、やってしまえば何とも清々しい気持ちである。
なぜか。
それまでは、積極的に知りたいと思っていない情報が、アプリを開くごとに目に飛び込んできていたからだ。
Twitterの「〇〇さんが〇〇さんをフォローしました」だの、興味のない広告だのと同じで、望む望まない差し置いて情報が無理やり送られてくる。
LINEを始めた当初はそれほど普及していない時分であり、私自身も家族とだけの会話ツールであるという認識で使用していた。
しかし今では、絶対にコンタクトを取らないのに一見さんともLINE交換をする。『既読』という文字による返信強要とも思える強迫観念。それでなくとも『既読無視』『未読無視』なんてLINE用語まで現れ。戦々恐々である。
少なくとも顔見知り以上や、お世話になっている人を無視できない私にとっては、返信強要は辛いことでしかない。
たとえ思い込みでそれが考えすぎであっても、『既読無視』とかいう言葉が溢れており、さらにLINEスタンプにまであらわれている以上、気にする人がいるという事実は私を苦しめるのだ。
ちなみに私自身、既読無視をされても、返信すべき内容以外の場合は特に気にしない。返事しろよ!と思う内容で返事がない場合は、正直関係をやめるかどうか考えるところである。短気なので。

題目に話を戻す。
LINEも無理くり情報を押し付けられるツールであるとしたところには理由がある。
それは、たとえば名前の横の短い文章であったり、写真であったり、である。
その辺は内容的に気になり得ないのだか、LINEは写真を変えた事等を優しくも赤い点マークをつけて教えてくれるのだ。
必要ない。変えたとか興味ない。
厳密には、近しい人のものは興味があるのだ。
しかし、LINEはもはや誰とでも交換するようなものになってしまった。そのため、特に興味がない人の変更履歴なんかも主張される。
非表示にすればいいじゃん、と思われるが、いつLINEの友達欄を見られるかわからない。その時に名前が無かったらヤバイじゃん。なので非表示にできない。
とか、考えることすら面倒になった。
だからそもそも見ることを格段に難しくした。
ガラケー時代の「メアド変更しました」でメアドに日付のようなものが含まれていて、あーもしかしてこれ誕生日なのかな、とか思ってもあえてスルーしてたくらいには、興味無さすぎるのである。
人に興味を持てないのは、心弱すぎな自己防衛であり、傷付けられる前にガードするという気持ちからであるのは承知である。
情報を押し付けてくるような人(よく喋る・自分の話しかしないような人←嫌われるよね)とか、私自身がおもしろいと思って興味を持った人以外の情報は、仕事に関係しないところでは全く記憶に残らないし、正直興味ない。
クズである。クズ。やばい。
そんなクズがTwitterも不要な情報ばかりが辛くて見られず、しょうがなく友人をフォローして、現在ではフォローも切れずに総ミュート状態。
それでも見たくもないのに溢れる情報、TwitterやLINEを見ていること前提に進められる会話。
怖い。怖すぎる。
昔からネットで文章を書いていた割に、というか、だからこそ個人のことをまともに曝け出すことはしなかったので、ネットの波に乗れていないのは私の方なのだろう。
特定されるわけじゃない。
ネットとかSNSっていうのは、偽りでありいい意味で本当の自分をさらけ出していいところだと思っていた。というか、そういう使い方しか知らなかった。
だからこそ、世の中、怖い。


あれ?何の話だったっけ?
そうそう、LINEほぼ辞めたって話。
ちな新アカウントは家電で作った。
一人暮らしだからこそできる技だね!

チャンスを逃してきた

私はヲタで、携帯サイト全盛期からずっと自分のサイトを作って、自らの書いた小説(二次創作だけど)を公開することを続けてきた。

文章を書くのはずっと好きで、日記も毎日のように書き、その小説でないコンテンツである、私自身の日常や思想を書いた文章が評価されるのは素直に嬉しかった。

そして、そのサイトも私の情熱が続かず更新が疎かになり、下火になり、縮小していく運びとなった。長年日記を書くのに使用していたウェブサイトも閉鎖、ログを取る機能は無く、消えると同時に思い出もさよならという踏んだり蹴ったり。

文章を書くことは辞めたくないと思ってたので、新たにブログを開設してそちらにかなり不定期ながらせこせこ書いていたけれど、さすがにそこまで付いてくる人は……一人いた。

たった一人。だけど、その人は私が書いていた「二次創作小説」だけでなく、「私の文章」や趣味趣向に共感を覚えて付いてきてくれた人だった。しゅごい……。

サイト当時から感想くれたりブログにもコメントを残してくれたりして、本当にいい人だった。この人、彼女のために何かできることはないかとまで考えてた。私のファンというか、私の考えに同意してくれる、神的な存在だと思ってた。

しかしここで私の悪癖発動。飽き性である。

飽きたら放置は当たり前、放置とはすなわち、ブログを確認すらもしないとそういうことである。彼女はそれでもコメントを残してくれていた。でも、私がそれに気づいたのは1年後とか……酷い話だ。

彼女に申し訳なくて、私はブログの更新すらもしなくなった。本当は見ていたのに、返信しなかった自分が恥ずかしく、申し訳なく、そして一番は、彼女の期待に今後応えられるかわからなくて。

いつもいつも自信がなかった若い頃は、期待を寄せられるのが嫌で嫌で仕方なかった。自分が面白いと思うことを勝手にやってたら人が来た、みたいな感じだったし、個人対個人で話して、彼女が私に幻滅したら、もうウェブに何も出せない、と思っちゃって。

端的に言うと逃げた。逃亡。さよならバイバイ。

今思い返してみると、もしそこで私がもっとちゃんと頑張っていたら、彼女は私が長年憧れていた「ネットでできた友達」になり得たかもしれない。

歩み寄ってくれた彼女を裏切った私は、それ以降も人間関係クソ食らえで生きていくこととなる。ネットでも、リアルでも。

今はなんとか頑張ってはいるけど、自分がやりたいこと優先なのは変わらない。(これは単純に、いつ死ぬかわからないからやりたい事やるっていう精神から)

でも、さらけ出した自分を理解してくれる「他人」という存在は、とても大きなものだなとも思う。逃してはいけない人だったと思う。下手こいた〜〜〜〜!

全て今更後の祭りだけど、この経験を糧に、大事な人を見つけられたら逃さないようにしなきゃなって、そんなことを思ったのでした。

おーわり

 

打線組んでみた(い)

ネット発祥の何でも番付のようなものに、『何某で打線組んでみた』がある。ある事柄について野球の打線に当てはめることで、その優劣や重要度などが一目でわかるものだ。野球の、少なくとも打順について分かれば、こんなに見やすくわかりやすい番付もないかな、と個人的に思っている。(知らない人は『打線組んでみた』と検索すれば何か出てくるよ。2ちゃんネタだから嫌な人は嫌かもごめんね)ランキングとも少し違う気もするね。

この打線。私も何か組んでみたいな〜〜と軽い気持ちで考えるも、これがまた難しい。なにせ打線が組めるほどのそのテーマに対する知識が必要であることが第一だからだ。

これランキングでも同じじゃん、って話にもなるけど、確かに打順だけならそれでいいかもしれない。でも、守備位置も含めて考えようとすると、これがまた難しくなる。

この辺で普通なら例として打線組む頃なんだろうけど、正直何も思いついてないから組めない。でも頑張って考えてみよう。

 

【12ヶ月で打線組んでみた】

1左  7月(海日和)

2ニ  9月(シルバーウィークで秋の行楽も快適。長期連休が取れるかは微妙)

3投  8月(実家に帰るので休みますが使える安定の季節。ただ暑い)

4三  5月(比較的気候が安定しており、そこに重なる大型連休で攻守ともに抜群の安定感を誇る)

5補  1月(実家に帰るので休みますが使える安定の季節。ただ寒い。社会人は「お年玉」というリターンが望めるか微妙な投資をする必要がある場合も)

6一  4月(始まりの季節。花粉症の人は辛そう)

7右  3月(終わりの季節。この辺でイキって若気の至り故に金髪にしたりする卒業生がいたなあ)

8中  10月(可もなく不可もなく。程よい季節)

9遊  2月(3月に向けてジワジワ感を感じつつも嵐の前の静けさ感ある)

監督  12月(厳しそう)

マネ  11月(栗ご飯とか作りそう)

ベンチ  6月(奴は12神将の中でも最弱……)

 

結構頑張って考えたけど、基準をどこにするかでまた難しい。しかも野球に詳しいわけじゃないので「ん?」って感じるところもあるかと思われる。(変なとこあったら「優しく」教えてくれると嬉しい……)

ただ、12ヶ月だけで考えるでも個性は出るだろうから、めちゃくちゃ暇でアホになりそうな時に考えてみるのも面白いかもしれない。オススメの思考できる暇つぶし。

 

 

 

自己紹介

今週のお題「自己紹介」

 

自己紹介は難しい。

自分のことを言うってことは、それについて自ら認めた上で口に出したりしなきゃいけないってことだからね。

とはいいつつ、数々転職して来た中で適当に自己紹介してきた私は、自己紹介の文言すらもネットの性格診断とかに頼り切って喋っていた。しかしそれすらも認めたくなくて、紹介文言すら無くなり、自分とは何かというところまで深く考えようとし、夜を明かして、そして目覚めて何もかも忘れるという哀しき戦士となって生きてきた。

自分の良いところを認めるのも気恥ずかしく、自分の悪いところも身につまされる現実に認めたくない。

人間始めて30年経っても自分探しとかいうプププ……なことを続ける哀愁の旅人。しかし飽きがくるのも早いからすぐ旅やめてお家に引きこもりがちになる。

だって良いところとか難しいよね。どこだろ、と試しに他人の良いところを考え始めると、私とは違うな、無いな、あの人は凄いな、と考察上限の下方修正が始まるわけで。そんな思考から自分の良いところなんてわかるわけがない。

人に言われることは「肌白いね」「真面目だね」とかそんなんばっかりだし。まあそうなんだろうなって受け取るけどさ。

反面悪いところは……と考えるも何がしかのプライドが邪魔して、心の中でもう一人の自分による励ましが始まる。「そんなことないよ、がんばってるよ」なんて。

ちなみに「頑張る」という言葉は中学の時の駅伝で走ってた時に散々言われて「頑張ってんだよ!!」と走りながら思った時に嫌いになりました。しかし書いていて思ったけども、頑張れ以外にあんまり言えることもないし、そもそもスルーされる方がくっっそ辛いなと気付いたので、今度からは好きになっていこうと思う。うん。

まあそんな感じでとやかく言ったけど、自己紹介はこんな感じです。分かりづらいと思うんでまとめる。

30。色白真面目。飽きっぽい。根暗。

このブログも続くかどうかわからないけど、文章力向上と考えをまとめるために頑張ってこーって、そんな感じ。

テキストサイトなるもの

作ってみたくて。

基本的に思っていることを表現してしまうと、クズになること間違いなしなんだけど、社会生活を行なって行く上で言えない、考えないとかいう思考すらできないのは脳みその機能を止めてしまう可能性があると思ったので書く。

文章力向上の意味もあるけれど、それは人に見てもらう前提の文章を書くという意味での向上ということである。

いずれは往年のテキストサイトのように、自らの城で好き勝手やっていければとは思うけども。まあしないだろうね。めんどくさがりだからね。